経営者に贈る 「たまには思い出すべき、20個の諺」
2014/04/25 最終更新日:2015/01/06| マネジメント・業務改善
久々の投稿です(汗)
実は今週は東京、埼玉、神奈川、名古屋、大阪・・・と出張していたのですが。。。
名古屋や大阪の会合に出た際に
「ブログ、見てますよ!」という方が意外に?多かったので・・・
「これは、真面目に書かないといけないなぁ・・・」と意を新たにしたところです。
では、今から真面目に書きます(苦笑)
先日、ある有名なアパレル ネットショップの社長さん達と会食し、談義をしていたのですが、
その時に、その社長さんが
『私は、古いと言われるかもしれないけど、諺 を朝礼などで使っているんですよ』
と仰いました。
いわく
『さすが昔から伝わる言葉だけあって、不変の戒めなんですよね~』
と・・・・
その社長さんが仰ることを、あえて「諺」に例えていうと
●ふるきをたずねて 新しきを知る
昔のことや古い事柄を学ぶことによって、新たな発見をすること。過去のことをもとに、今起こっていることについて考えること。
といったところでしょうか。
そこで、今回は
「現代の経営者にも通じる諺」(手を抜いた訳ではないですよ!)を私なりに20個、集めてみました。
出典は「ことわざ辞典 日東書院」から引用しています。
●塵も積もれば山となる
わずかなものでも積もれば、山のように大きなものになる。小事をおろそかにしてはいけないということ。
●失敗は成功のもと
失敗しても、そのやり方の悪いところを直していくことによって、次は逆に成功することもあるということ。
●人の振り見て我が振り直せ
他人の行いの善し悪しを見て、これを手本として自分の行いを戒めること。人生はこの自戒の連続である。
●急がば回れ
急ぐときは危険な近道よりも、遠回りでも安全な道を選べ。結局はその方が速いことになる。
●七転び八起き
いく度失敗してもへこたれずに立ち上がって頑張ることをいう。また人生の浮沈の激しいことをも「いう。何事も最後まで頑張るものが勝つという励まし。
●百聞は一見に如かず
多くの人の言を何回も聞くよりも、たった一度でも実際に見た方がよくわかるということ。
●習うより慣れよ
改まって学習してもなかなか覚えられなかったことも、実際にやっていると自然に覚え込んでしまうもの。難しい理論よりも実際の経験が身に付くということ。
●鵜の真似をする烏
鵜の真似をして、水中に潜って魚をとろうとする烏は水に溺れる。自分の能力を考えないで、形だけ他人の真似をして失敗することのたとえ。
●聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥
知らぬことを聞くのは、その場だけの恥ですむが、聞かないで入れば、一生知らぬことで恥ずかしい思いをしなければならない。
●門前の小僧、習わぬ経を読む
寺の近所に住む子供たちは、自然に僧の読経を聞き覚えて、御経を読むようになるということで、日頃の感化の力の大きいことをいう。
●論より証拠
論争をするときには、証拠を出すのが物事の是非をはっきりさせる一番いい方法である。単純に白黒をはっきりさせるには証拠は唯一の決定者になる。
●蒔かぬ種は生えぬ
何もしないで、良い報いだけを望んでもむりである。原因がなければ結果は生じない。春の花なしに秋の実は期待できない。
●犬も歩けば棒に当たる
犬もそこらを出歩くと棒で打たれることがある。じっとしていれば無事なのになまじっか行動を起こしたり、出しゃばったりするから禍にあう。しかしこの頃は、だまって何もしないでいては、何も変化は生まれない。何かやれば案外幸せがめぐってくるかもしれない、という消極的な意味に使われることが多い。
●三度目の正直
物事はすべて三度目が本物であるということ。占いや勝負などの場合も、一度目や二度目は偶然かまぐれ当たりかであてにならないが、三度目は確かである。三度もつづけて勝てば、強いとか上手とかに決まっているし、占いも三度同じ結果が出れば信用していいということ。
●石の上にも三年
冷たい石の上にも、三年座りつづけていれば、あたたまって居心地がよくなる。辛抱の大切なことのたとえ。
●桃栗三年柿八年
芽を出してから実がなるまで桃と栗は三年、柿は八年かかるということ。桃と栗は木の成長も早いが、柿は気長に待つほかはない。
●時は金なり
時間は貴重なものであるから、無駄に過ごしてはならぬ。
●先んずれば人を制す
人より先に事を行えば、相手を制することができるから有利であるが、人のあとにまわれば逆に相手に抑えられるから不利である
●損して得取れ
大きい利益を得ようとすれば、小さい損をして下地をつくることが大切である。目先の小さい損をいやがり、こせこせ儲けていけば、結局大きい利益を逃すことになる。
●取らぬ狸の皮算用
まだ捕まらぬうちから捕まったつもりになって、皮を売って儲ける計算をすることで、不確実なことをもとにして、儲けだけを考えること。
如何でしたでしょうか?
(決して手を抜いた訳ではないんですよ・・・)
でも、あらためて、よくよく見てみると・・・
私の家は旧家だったせいか、
祖父・祖母・父が日常的に これらの言葉を使っていました。
まさに「門前の小僧、習わぬ経を読む」だったのかもしれません。