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経営者に贈る 「たまには思い出すべき、20個の諺」
2014/04/25 | マネジメント・業務改善
久々の投稿です(汗)
実は今週は東京、埼玉、神奈川、名古屋、大阪・・・と出張していたのですが。。。
名古屋や大阪の会合に出た際に
「ブログ、見てますよ!」という方が意外に?多かったので・・・
「これは、真面目に書かないといけないなぁ・・・」と意を新たにしたところです。
では、今から真面目に書きます(苦笑)
先日、ある有名なアパレル ネットショップの社長さん達と会食し、談義をしていたのですが、
その時に、その社長さんが
『私は、古いと言われるかもしれないけど、諺 を朝礼などで使っているんですよ』
と仰いました。
いわく
『さすが昔から伝わる言葉だけあって、不変の戒めなんですよね~』
と・・・・
その社長さんが仰ることを、あえて「諺」に例えていうと
●ふるきをたずねて 新しきを知る
昔のことや古い事柄を学ぶことによって、新たな発見をすること。過去のことをもとに、今起こっていることについて考えること。
といったところでしょうか。
そこで、今回は
「現代の経営者にも通じる諺」(手を抜いた訳ではないですよ!)を私なりに20個、集めてみました。
出典は「ことわざ辞典 日東書院」から引用しています。
●塵も積もれば山となる
わずかなものでも積もれば、山のように大きなものになる。小事をおろそかにしてはいけないということ。
●失敗は成功のもと
失敗しても、そのやり方の悪いところを直していくことによって、次は逆に成功することもあるということ。
●人の振り見て我が振り直せ
他人の行いの善し悪しを見て、これを手本として自分の行いを戒めること。人生はこの自戒の連続である。
●急がば回れ
急ぐときは危険な近道よりも、遠回りでも安全な道を選べ。結局はその方が速いことになる。
●七転び八起き
いく度失敗してもへこたれずに立ち上がって頑張ることをいう。また人生の浮沈の激しいことをも「いう。何事も最後まで頑張るものが勝つという励まし。
●百聞は一見に如かず
多くの人の言を何回も聞くよりも、たった一度でも実際に見た方がよくわかるということ。
●習うより慣れよ
改まって学習してもなかなか覚えられなかったことも、実際にやっていると自然に覚え込んでしまうもの。難しい理論よりも実際の経験が身に付くということ。
●鵜の真似をする烏
鵜の真似をして、水中に潜って魚をとろうとする烏は水に溺れる。自分の能力を考えないで、形だけ他人の真似をして失敗することのたとえ。
●聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥
知らぬことを聞くのは、その場だけの恥ですむが、聞かないで入れば、一生知らぬことで恥ずかしい思いをしなければならない。
●門前の小僧、習わぬ経を読む
寺の近所に住む子供たちは、自然に僧の読経を聞き覚えて、御経を読むようになるということで、日頃の感化の力の大きいことをいう。
●論より証拠
論争をするときには、証拠を出すのが物事の是非をはっきりさせる一番いい方法である。単純に白黒をはっきりさせるには証拠は唯一の決定者になる。
●蒔かぬ種は生えぬ
何もしないで、良い報いだけを望んでもむりである。原因がなければ結果は生じない。春の花なしに秋の実は期待できない。
●犬も歩けば棒に当たる
犬もそこらを出歩くと棒で打たれることがある。じっとしていれば無事なのになまじっか行動を起こしたり、出しゃばったりするから禍にあう。しかしこの頃は、だまって何もしないでいては、何も変化は生まれない。何かやれば案外幸せがめぐってくるかもしれない、という消極的な意味に使われることが多い。
●三度目の正直
物事はすべて三度目が本物であるということ。占いや勝負などの場合も、一度目や二度目は偶然かまぐれ当たりかであてにならないが、三度目は確かである。三度もつづけて勝てば、強いとか上手とかに決まっているし、占いも三度同じ結果が出れば信用していいということ。
●石の上にも三年
冷たい石の上にも、三年座りつづけていれば、あたたまって居心地がよくなる。辛抱の大切なことのたとえ。
●桃栗三年柿八年
芽を出してから実がなるまで桃と栗は三年、柿は八年かかるということ。桃と栗は木の成長も早いが、柿は気長に待つほかはない。
●時は金なり
時間は貴重なものであるから、無駄に過ごしてはならぬ。
●先んずれば人を制す
人より先に事を行えば、相手を制することができるから有利であるが、人のあとにまわれば逆に相手に抑えられるから不利である
●損して得取れ
大きい利益を得ようとすれば、小さい損をして下地をつくることが大切である。目先の小さい損をいやがり、こせこせ儲けていけば、結局大きい利益を逃すことになる。
●取らぬ狸の皮算用
まだ捕まらぬうちから捕まったつもりになって、皮を売って儲ける計算をすることで、不確実なことをもとにして、儲けだけを考えること。
如何でしたでしょうか?
(決して手を抜いた訳ではないんですよ・・・)
でも、あらためて、よくよく見てみると・・・
私の家は旧家だったせいか、
祖父・祖母・父が日常的に これらの言葉を使っていました。
まさに「門前の小僧、習わぬ経を読む」だったのかもしれません。
10年そこそこの成功で、得意泰然になっていませんか?
2014/04/10 | マネジメント・業務改善
私にはたくさんの『師』と仰ぐ方々がおられますが、
『人生の師』は3人です。
1人は、危機管理の第一人者で初代内閣安全保障室長の 佐々淳行 先生
1人は、元 NTT取締役・元 東海大学理事の 故 吉田庄司 先生
1人は、元 吉村酒造(株)代表取締役会長(松葉屋吉村家4代目)・祖父の故 吉村源太郎
です。
3人の師匠のうちの1人 佐々淳行先生から賜った言葉が
『得意冷然 失意泰然』
でして・・・
私が初めて佐々先生にお目にかかった10年前に、
『君は会社を経営し、商売を営んでいるから』
と、この言葉を頂戴しました。
昨年末にお目にかかった際にも、この言葉を賜りました。
物事が上手くいっていない時ほど堂々と行動し、
逆に上手くいっている時は冷静に・・・
という意味です。
勝海舟や安岡正篤が好んだ この言葉は、
もともとは中国の故事『六然』が出典なのですが・・・
任天堂3代目社長で、現在の「世界の任天堂」を築きあげた立役者である
山内溥さんの座右の銘でもあります。
任天堂は今では世界的なゲーム機メーカーですが、
もともとは1889年に花札の商店として創業した京都の老舗です。
実は任天堂は経営理念を設定していない「珍しい老舗」ですが、
社名が経営理念の代わりを果たしています。
「人生一寸先が闇、運は天に任せ、与えられた仕事を全力で取り組む」
これが『任天堂』の社名の由来と云われています。
そのため
『財界活動を一切行わない』
(企業経営の目的をあくまで「雇用創出」と「納税」に見いだしていたから)
『他業種への進出は行わない』
(かつて、タクシー、インスタント食品、育児用品、事務機器、ホテル などの業界に進出して失敗した経験があるから)
『時代時代にあわせて柔軟性を持つ』
(花札 ⇒ かるた ⇒ トランプ ⇒ テレビゲーム ⇒ ファミコン&携帯型ゲーム機 )
『無借金経営で、潤沢に内部留保する』
(5000億という分厚い内部留保で健全な財務体質を保つ。ちなみに連結総資産は1兆4000億円)
という姿勢を貫いています。
長くなりましたが、実は ここまでが前置きです。
今回は『イーコマース成功者』と云われる方々の中の・・・
『一部の方々』 に物申したい事があります。
それは・・・
『数年~10年そこそこの成功で、得意泰然になっていませんか?』
という事です。
明後日、私が所属する ネットショップの商工会『一般社団法人イーコマース事業協会』は12周年 を迎えます。
イーコマース(平たくいうと、ネットショップ)の大半は、1990年代の終わり頃・・・
『コンピュータなんかで物が売れるかい!』 と世間が笑っていた頃に、
『インターネットによるショッピングは必ず大きくなる!』 と信じて・・・
『ネットショップとはどうあるべきか』 という問題と格闘しながら、成長を続け・・・
そして現在のように、イーコマースが大きく進化を遂げ、『成功者』たちが生まれました。
こうなると 『成功者』の中には 『怠慢』 が生まれてくる人も出てくる 訳です。
いま、売れて売れて 生産が追い付かない
という会社さんもおられますが・・・
その会社さんの商材は明らかに『リピート商材』にも関わらず
『売れてるから、そんな暇ないねん』 と、リピート対策を行っておられなかったり・・・
『やりすぎじゃないの?』というくらい、散財していたり・・・
『勝って兜の緒を締めよ』 という諺をご存じないのでしょうか?
私が創業163年の会社の経営者だから見下す訳ではありませんが・・・
『たがだか10年くらいの成功でしょ?』
と思ってしまう訳です。
もちろん、『成功している会社の経営者』でも、私生活も無駄遣いしない人や、
積極的に新米店舗さんに混ざって、熱心に勉強を続けておられる方もおられます。
ある日、私は その方に
『なぜ、あなたほどの方が?』
とお聞きしたところ、その方は こう答えられました。
『気づきが必ずあるんですよ』 と・・・
更に聞いてみると
『いやね、私も少し前までは“もう勉強する事なんてないや”と思っていたんです。』
『そうしたら売上が伸びなくなったんですよ。やっぱり、謙虚に勉強せなあかんなと思い直したんです』 と・・・
1997年(平成9年)4月1日に消費税が3%から5%に引き上げられて 17年が経ち、
今年の4月1日に5%から8%に引き上げられました。
『得意淡然 失意泰然』
いま一度、立ち止まって考えてみる時期に来ているのではないでしょうか?